8年付き合い、6年一緒に暮らした彼とは、周期的に同じことで喧嘩していた。
そしてそのたび、彼は私を無視した。
最初は1日だった無視は、付き合いが長くなるにつれ、3日、5日、7日と伸びていった。
無視の期間は、喧嘩と同時に宣言される。どこでタイマー設定してんの?というくらい精密だった。
言葉がない日々は、ただただ沈黙だけが部屋を満たし、私は「どうして」「なぜ」と心の中で問い続けた。けれど、問いは一切届かない。まるで、私の存在そのものがなかったことにされているかのようだった。
私は無視されることに耐えられない。
子どもの頃、祖母に無視された日の記憶が今も頭から離れない。本棚の横で、私は一人で泣いていた。何が悪かったのかも分からず、ただ「私が悪いんだ」と自分を責めるしかなかった。記憶上初めて無視されたその日、乳歯が抜けたことも覚えている。祖母に歯が抜けたことを言いたくてしょうがないけど、また無視されるとを恐れて、膝と乳歯を抱えて泣いた。おそらく、私はまだ5歳くらいだった。
その感覚が、彼の無視によって何度も何度もフラッシュバックした。
私は彼が怖くなった。付き合って半年の頃、初めての無視を受けた後、勇気を出してモスバーガーに呼び出し、「別れたい」と伝えた。理由はただ一つ。「無視だけは、どうしても耐えられない」と。
けれど彼は、「半年を無駄にするのか?関係はこれから築いていくものだろう」と説得してきた。私は、その言葉に流されてしまった。
あれ?無視って大したことないじゃないのかなと思った。彼はオーストラリア人だ。国際社会ではそれくらい普通なのかなと思った。
まさかそれから8年後、結局無視が原因で別れることになるとは、当時の私は知る由もない。
ある夏の日。彼の夏の10連休に対して、私は3連休。彼は「ナンジャタウンに餃子を食べに行きたい」と言った。私はその時、疲労とストレスのピークで、混雑する池袋の人混みと騒音、そして街の独特な匂いに耐えられず、つい眉間に皺を寄せてしまった。
その表情に、彼は激昂した。
「もういい。3日間、君とは話さない」
私は「え、ラッキーじゃん、どこかホテルでも取って静かに過ごしちゃう?」と胸が躍ったが、インバウンドの影響で値上がり始めたホテル代と自責の念で断念した。私は本当にひどい人間なんだろうか。わがままなのか、不機嫌なのか、感情の扱い方が下手なのか。
その年、私は精神科に行き、抗うつ剤をもらった。
ラツーダとレクサプロ。服用を始めた私は、まるで別人になったかのようだった。
人混みにも耐えられるようになり、彼にも笑顔で接することができた。人生が一気に軽くなった。あの3連休が私の分岐点だった。
けれど、本当の分岐点は、薬をやめた後に訪れた。
体調を崩し、断薬を余儀なくされたとき、私は思い出した。私、笑ってたけど全然楽しくなかったじゃん。
「無視されるのが怖い」のは、私が弱いからじゃない。私は、誰よりも誠実に向き合おうとしていただけなのだ。
今後私は、私の声を大事にして生きていく。そして当時の私は英語力が足りなかったので、これからも英語学習を続ける。
今年の夏の3連休が始まる。彼はもう横にいない。