私はカサンドラだったのか?

無言と騒音のあいだで

最初の違和感は、喧嘩をしたとき彼が私を無視したことだった。数日経つと何事もなかったかのように接してくるが、その話題はタブーになり、結局何が問題だったかを話し合うことはなかった。タブーだけが静かに積み重なり、私たちの関係は狭く、息苦しいものへと変わっていった。外出はストレスだったが、家もまた安全地帯ではなかった。終わらない片付けにうんざりし、大音量のYouTubeやポッドキャストが四六時中流れ続ける。彼にとっては子守唄でも、私にとっては騒音公害だ。耳栓をしても内容が分かるレベルで、音量を下げてもらっても今度は彼のいびきが主役になる。私は耳栓なしで眠れる夜をあきらめ、ポッドキャストといびきに挟まれた耳栓生活を続けるしかなかった。

食の独裁政権と消えたスキンシップ

彼は頭が良く、記憶力も抜群で、私の拙い英語も理解してくれた。しかし完璧主義で、一度決めたことは絶対に曲げない。ある日、明るいリビングで「ここで胸を出せ」と言われ、拒否すると「じゃあ二度と君の胸には触れない」と宣言された。それ以来、スキンシップは完全に消滅。食生活もまた彼のルールに縛られていた。外食はピザ、ハンバーガー、餃子、焼肉、パスタ、焼き鳥、カレーのみ。その中でもお気に入り店はごくわずかで、気に入らなければ二度と行かない。リストは年々縮小し、最終的に土曜の晩餐はカレー一択になった。食べられないものは全部私に回され、「シェアしない主義じゃなかったの?」と聞けば「もったいないだろう」と返される。私は人間ゴミ処理機のように食べ残しを片付けた。

外出専属マネージャーとして

注文も会計も、私の役目だった。彼は「日本人が頼んだほうが早い」という理屈を掲げ、外国人である自分は注文をしない。私は彼の好みを聞き出して店員に伝え、会計の際は彼から渡された代金を支払う。いつの間にか、私は彼の外出マネージャー兼通訳になっていた。その役割が負担となり、外出前から表情が曇ることも増えた。私の機嫌が悪くなると、彼は怒り、私は自分を責めた。もう機嫌が悪くならないように――そう願って、ラツーダとレクサプロを飲み始めた。

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