眩し過ぎる友人たち

結婚式なんてもう無縁だと思っていた

40歳を過ぎて、もう結婚式に呼ばれることはないだろうと思っていた。

ちょうど5月末にパートナーとの同棲を解消し、「これからはひとりで、老後に備えたシンプルライフを送ろう」と決意したばかり。ついでに、型の古いドレスも含めて服を一掃していた。

そんな矢先。

唯一の独身仲間だった専門学校時代の友人から、まさかの結婚式の招待状が届いたのだ。

しかもLINEで出欠を即答できるDX仕様。ありがとう、令和。

ドレスを新調する勇気はなかったので、表参道のレンタルドレス屋で即決。コーディネーターに「早いっすね」と言われたときの安堵の顔が忘れられない。面倒な客じゃなくてよかったね。

当日は、有楽町の美容室で髪を整え、麻布の格式ある式場へ。雨が奇跡的に上がり、空まで祝福モード。

あの忌まわしいブーケトスがなかったことには感謝しかない。未婚女性が強制的にステージに立たされ、花束を奪い合うあの儀式…私はこれまで見事なフットワークで避け続けてきたけれど、今回は最初から存在しない。新郎新婦の気遣いが感じられるし、何より「無駄な恥さらしイベント」が消滅している令和に拍手を送りたい。

披露宴も素晴らしかった。長ったらしいスピーチもなければ、余興でスベることもない。泣ける場面はちゃんと泣けて、料理も美味しい。やっぱりプロに任せた結婚式は違う。

友人たちがただただ眩しい2次会

披露宴のあと、同級生たちとお茶をすることに。なぜか場所はリッツ・カールトン。(値段を心配していたら意外と2,000円以下で済んだのは救いだったけれど、子連れの友人が「高いからこの中から選んで」と子どもに言っているのを見て、みんな心の中で「なんでリッツ?」と思っていたはずだ。)

そこで友人の一人が、自分がどれだけ恵まれた環境にいて、著名人と仕事をし、デザイナー夫婦として活躍しているかを語り始めた。

正直、もう私が加わる余地はないなと感じた瞬間だった。

人と比べるのはやめよう(たぶん)

私は編集者として、日々クライアントの無茶ぶりと締切に向き合っている。ADHD的な特性のおかげで、同時進行のタスクが多い方がむしろ燃える。先日も先輩がダウンした案件を急遽引き受け、納品に向けて走り続けた。正直、抗うつ剤を飲みながら仕事を続けている私より、先に先輩がメンタルダウンしたのは計算外だったが、お客さんの好みと会社の政治さえ押さえれば、大手からの報酬は大きい。

学生時代は、課題を一つひとつ丁寧に仕上げることが正義だと思っていた。でも今の私は違う。効率的に、戦略的に、自分の個性を活かして働き、安定した収入で穏やかに暮らす。

友人の人生はまぶしい。けれど、私が選んだ人生も悪くはない。ブーケは最初から存在せず、誰も無理やり走らされなかった。それと同じように、私はもうある意味デザイン界の「競争」からも降りているのだろう。

結婚式は、人の幸せを眺めながら、自分の立ち位置を測るイベントでもある。

私の人生は華やかじゃない。ブーケは取らなくても、日々の仕事と暮らしで、十分に両手はふさがっている。みんながデザイン談義に花を咲かせている最中、私は用事があると言い訳してその場を早めに立ち去った。

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